虎になったことはあるか/『山月記』(みんなの本気読書感想文)

中島敦は、幼時よりの漢学の教養と広範な読書から得た独自な近代的憂愁を加味して、知識人の宿命、孤独を唱えた作家で、三十四歳で歿した。彼の不幸な作家生活は太平洋戦争のさなかに重なり、疑惑と恐怖に陥った自我は、古伝説や歴史に人間関係の諸相を物語化しつつ、異常な緊張感をもって芸術の高貴性を現出させた。

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レコメンドレビュー

scop(@scop_manga)

タイトルを知らない読者はいるまい。 学生時代、教科書で読み概要は抑えている方も多いのではないか。 私がこれだけ読み古された本作を紹介したいのには理由がある。それは大人になってこそ感じられる共感が描かれていると感じる為である。

メインレビュー

以下、内容やネタバレを含む場合があります

誰もが知っている李徴が虎になる話である。簡単におさらいしておこう。
エリート官僚だった李徴は詩人としての夢を捨てきれず職を辞する。しかし、詩人として鳴かず飛ばずのうちに妻子を養うこともままならなくなり、再び職に就く。同僚は肩を並べることも憚られるほど出世し以前の自分の部下にすらならない者たちが上司となる事が如何にストレスとなったかは想像に難くない。やせ細り美男子であった面影も消え、ついには虎になってしまう。
この話は大人になってこそ、何かに打ち込み夢破れた経験を持ってこそ、味わい深いのではないだろうか。
敢えて口語的に言うならば、「自分には才能があると信じていたけど、どうやら一流には成れなさそうだ。自分のプライドと実力の矛盾に耐えられなくなって、おかしくなってしまいそうなんだ。」という事である。
この気持ちを表す作品だと私は考えている。この気持ちを表すのに熟語やことわざではなく、物語を通して伝えたのが『山月記』なのだ。
もう少し続けると、旧友に会った李徴は虎になっても尚、自分のこの気持ちや境遇を詩を通して友人に伝える。まさに『山月記』と同じ構造ではないか。当然だが、私は中島敦と面識はない。だから中島敦が抱いたこの感情が文学に対してなのかは分からない。しかし、李徴が旧友に伝えたように、中島敦は私にその気持ちを自分の魂(作品)を通して教えてくれる。だからこそ、私にとっての名作なのである。 また、詩人として生きられなくなっても詩を綴っている事が、プロとして活動できていない人間に対するエールのようにも取れる点も気に入っている。つまり、世の中のアマチュアに対して名を揚げられていなくとも、しみついたその行動(創作)は自然と出てしまうものだと伝えてくれているようにも取れるのだ。これは些か勝って読みが過ぎるかもしれないがご容赦いただきたい。 このレビューを読んだアマチュアは『山月記』を読み、かの中島敦さえこの感情を持っていたのかと、モチベーションを上げて創作に狂ってくれる事を願っている。

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